
福島県いわき市湯本町。
銀行員の父と、会社員の母の長男。
3,960g の大きさで出生。
母さん、デカくて大変だったね、有り難う。
真面目な父
福島県いわき市湯本町生まれ。

中学時代に父を亡くし、高校時代は八百屋の母の手伝いをしながら“磐城高等学校”に通学。
のちに明治大学へ進学する彼は、私にとって雲泥の差がある。
思春期には、自転車に野菜を積んで バス停の女子高生達の前を走るのが恥ずかしかったと、よく話していた。




祖父は、神奈川県川崎市の出身。
常磐炭鉱に、炭鉱技術支援の為、この福島県いわき市へ移住。
それを機に、八百屋の祖母と出会っただろうか。
炭鉱からの帰りに、40代で亡くなった。

陽気で喜作な母

福島県いわき市三和町下三坂。
喉かな大自然が広がる地で七人姉妹の真ん中で育った母は、いつも明るくて元気だったと従姉妹が語っている。 父は、この田園広がる村で農業、母は5歳になる前に他界、祖父は金融業だったらしい。





いわき湯本高校卒業後、大手ゼネコン建設業の事務員だった様、沢山の従姉妹と友人に囲まれ、とても幸せに見えていた。 いつも明るくて、落ち込んでる事なんて見た事がない位、太陽の様な母でした。
父・母の結婚
父は銀行の同僚なのか、当時の御見合いで母の紹介を受ける事に。
母の従姉妹に銀行員。 双方、銀行に縁があって結ばれた様だ。



父は再婚。 前妻の長男、私にとって異母兄弟の兄が連れ子だと知ったのは27歳。
幼少期には、母の愛情なんて解ってないまま、すくすくと育ってた。
反抗期なんて、過保護が原因なのか 「もう大人なんだ! んな事言われなくてもわかってるんだよ!!」と、罵声を浴びせたり・・・。
いつか親が老けて来たら、反抗や暴言なんて 後悔しかない。
自分は親になれてないけれど、母なら自分が産んだ子に そんな事言われて。





父が他界し、7年間 ずっと水戸から母の住むいわき市へ 毎月2度、必ず会いに通ったけれど、もっとずっと前から 通うべきだった。
父が元気な内に、母も連れて 一度位 旅行や食事に出かけたり、未だ後悔しかない。

八十二歳で、大腸癌と心臓バイパス手術。
入院の手続きや検査入院の手続きをしていた最中。
私「明日あさってから入院だ。 また来るよ。」
母「おまえが息子で良かった。 またね。」
一時、水戸へ帰る車で涙が溢れだした。
男はやっぱりマザコンだ。
一人になる
七年前に父が他界し、母もあの世に見送り、葬儀を終えたら 本当に独りってこういう事なんだって。
墓参りもかかさず、献花もする様になった50歳。
親孝行って生きてるうちしか出来ないけれど、親父の生前は喧嘩ばかり。
たった一度だけ、酒を呑んで語った事があったけど、あと十日位 そんな日がほしかった。
もっと親父に喧嘩なんてせず歩み寄って、共に過ごせた時間があったろうと。
父に先立たれた母が、頼れる相方を失って可哀想で 時々会いに来る位なら、友達のお婆さん連中も一緒にどこか旅行でもするべきだったなって。
もう後悔ばかりだけど、亡くなってわかる親の存在は、想像を超えた偉大さ。
何より父も母も、あの日あの時の言葉、行動、いらない贈り物、電話・・・
全て愛情だったとふりかえると、全ての思い出に涙が滲む。
人生、また輪廻転生出来たら 親には口答えするな! 文句があっても飲み込め! 老いて来たら甘やかしてやれ!と